始まりと終わりに、長崎の街に降り注ぐ雨

始まりの雨は 痛いほど大地を叩きつけ、長雨を思わせるような陰気で悲しみを帯びた雨。

終わりの雨は 渇いたコンクリートが雨に冷やされ、大地が生き生きと輝く温かいシャワーのような雨。

同じ日常の風景でも、「雨」を描く演出は、映画ならではの表現。

劇中、乾いた長崎の夏の風景、オダギリジョー演じる小浦治が、橋から用水路を眺めて、煙草を投げ捨てる場面。

用水路には、治の投げ捨てたタバコの吸い殻が月日を重ねたように溜まっている、この場面にかけがえのない存在を失った治の虚無感が感じ取れる。

そしてジリジリと照りつく道路のアスファルトに仰向けになりながら死を待つ蝉と 虚ろな眼をした小浦治と17歳姪の優子の顔は印象的でどこか似ている。

「生と死」「喪失と再生」をテーマに 玉田真也監督は、自身が舞台で演出した「夏の砂の上」を映画化するにあたり、映画的アプローチを、常に考えていたのだろう…

この映画の詩的描写は美しく叙情的に描かれ、カラカラに乾いた渇水の街は、かつて洪水にのまれ、閃光に焼かれた街、そこに愛を失った男と愛を知らない少女の心情が、長崎の情景と重なる描写は秀逸でした。

心の渇きにもがく、小浦治と17歳姪の優子の二人の感情は、ラストに降り注ぐ雨によって共鳴する、二人が雨水を美味しく啜る場面は、幸せそうで はしゃぐ二人の姿は愛を失った男と愛を知らない少女に生きる証を見つけた美しくも尊いシーンとして とても心に響きました。

「夏の砂の上」出演者は豪華で決して地味な映画では無いのだけれど…..舞台戯曲という難しい文学的作品イメージとして あまり話題に上らないかも知れないが、 これは良作傑作。 今年のmy favorite Movieの1本です。